| 2002年6月〜12月 |
| 子宮筋腫手術記 02’06.01 | 福岡の虐待事件の事 02’06.20 |
| 福岡の虐待事件の事に思う 02’06.24 |
シェリーの死 02,07,03 |
| 動物実験に使われたチンパンジー 02’07,30 | 新聞の投稿欄に載った愛護関連記事02,08,05 |
| 学校で犬を飼うという事 02’08,31 | みなみちゃん、保護??? 02,10,06 |
| 人間の里子と犬猫の里子、呼び名が同じではいけませんか? 02,10,13 | 幸せなまりんちゃん♪ 02,10,19 |
| ボランティア活動の仲間集め 02,10,22 | 宮島の鹿について 02,11,04 |
| 野良猫問題、新宿区の試み。(NHK朝のニュースより) 02,11,15 | 北朝鮮 泣いている女たち (李順玉著)の衝撃! 02,11,21 |
| ラッキーボーイ!プードルのルンちゃん。 02,12,03 | 犬、猫10匹飼えば懲役刑? 02,12.13 |
| ビートルズの関西弁訳詩のごっつう面白いHP。 02,12,15 | 雨にも負けず・・・ 02,12,31 |
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| 子宮筋腫手術記 2002,06,01 |
| 4月の終わり頃に、自分の勤めている病院で血液検査をしてもらいました。 その時は、何の気なしにとりあえず定期的に貧血の検査をしてみようか位の気持ちでした。結果はヘモグロビン値9,2で軽い貧血状態でした。自分でも生理の終わった時など「出血大サ―ビスをしてしまった!」って感じでフラフラする事が多かったので少しまずいな〜と思っていると、先生が一言 「子宮筋腫じゃないの〜〜!」(内科ですが名医です。実証されました!皆さん診察に来てくださいね。) う〜ん、思い当たるなぁ。この年にしては元気に出血し過ぎるし、仰向けになるとその辺りにごろごろするものありき・・・ 半年くらい前から感じてはいたけど、膀胱におしっこが溜まり過ぎたからかもと思ってトイレに直行して何となくすっきりして安心したり・・・つまりは認めたくなかったのですね。(^^;; それでも2月には婦人科の病院で(これはすごいじいちゃん先生で、いいかげんだったかも)子宮経癌の検査もしていましたが、何の異常も指摘されなかったです。 次の日エコーの検査をしてもらい、「すごい大きいよ、10センチ×10センチ以上はある。」 という呆れたお墨付きをもらい、大病院に紹介状を書いて頂きました。(それが何と言っても早道です) それから2日後には県立の大病院で診てもらって、次の週には手術という風に話はとんとん拍子にすすんだのでした。 筋腫がかなり大きい事と、貧血などの合併症がある事、それから悪性に移行し易い事などで有無をいう間もなく子宮全摘手術と相成ってしまいました。私もそうなったら早いとこすっきりしたいという気持ちと、持ち前の変な好奇心?で不思議と嫌だという気持ちは起きませんでした。経験者の友人が「本当にすっきりした!」と言っていた事も思い出したりして。 先生もこの手の手術は危険性など皆無に等しいので、のん気に、 「切り方は縦切りがいいですか?横切りがいいですか?」と言うので、私も思わず、 「横切りコースでお願いします」と。 「横切りなら夏にビキニを着ても目立ちません!」(誰がビキニ着るんだ〜!) ところが入院の前日に実の母が急死するという信じられない不測の事態になってしまいました。散歩中にばったり倒れてそのまま逝ってしまいました。緑の日でした。前日には会って天丼を元気に食べ、行ってきた鹿児島旅行の話を楽しそうにした母だったのに。自分の考えをしっかり持っていて、毎日会員制のスイミングプールで元気に泳ぎ、朝夕の散歩をしていた、何の不自由も病気も無い母でした。本当に本当に信じられないままお葬式がすみ、今でも未だ信じられないままです。一人で街中に住み、おしゃれでさっぱりした人でした。今日も新聞に伊勢丹の広告が入っていたので、無意識に母と一緒に行こうと思ってしまい、その後ああいないんだっけと思い直してみたり。 そうそう、そんな訳で手術は大幅に延期になってしまいました。でも母が、おなか切ってから倒れていたら私はお葬式にも出られなかったから不幸中の幸いと言えるかもしれません。私は思いました、人生なにが起きるかわからないと!! なので実際に手術台に上ったのは、最初の予定より20日ほど経ってからでした。 手術中は苦しかったです。頭だけ冴えていて胸から下は何の感覚も無く、ただ内臓が引っ張られるような妙な感じで、最初の意気込みはどこへやら、早く終わらないかな〜とそればかり考えていました。途中で咳がしたくなり死にそうに苦しかったです。又、最近の手術は、手術中に背中から管を入れて、常時痛みを感じないように硬膜外麻酔薬というのを注入するようになっているとの事でした。だから経験者から聞いた所、手術後何日も痛みを感じないという人が多かった。だが、しかし・・・私はかなり痛みがあり、手術した日は何回も看護婦さんを呼びつけて、イタイイタイとわめいてしまいました。一分、二分と時間が経つのが耐えがたく長く感じられたものでした。あんなに長い夜を過ごしたのは後にも先にも初めてでした。 手術の次の日、看護婦さんに言われて気が付いたのですが、背中から痛み止めで入れてもらっていた例の麻酔の管のジョイントからなんと、液が漏れているではありませんか!!! が〜〜ん!手術後すぐから漏れていたのかもしれない。だから痛かったのかも・・・・終わった事は良しとしよう、どんな事にも失敗はあると思い直した私ですが、真相はわかりません。 結局、本当は3日目まで管を入れたままにする予定を1日目に取ってしまいました。(もうその頃の痛みには耐えられるようになっていましたが) そんな訳で思ったより苦しみましたが、それ以外は楽しい入院生活でした。同室の方々がなぜか皆動物好きな人ばかりで、とても気持ちが通じ、不思議なほど意気投合しちゃって。動物に対する考え方も4人とも一緒で何時間話しても飽きることなく楽しかったです。こんな事ってあまり無い事ですよね。不思議ですね。 終わってみると私にはとてもいい思い出になりました。それにこれから生理になったり、その為に生じる煩わしさも感じる事が無いと思うと本当にうれしいです。 これからの人生、いつも亡くなった父や母の事を思いながら、有意義に過ごしていきたいと思っています。 精神的、肉体的に本当にたいへんでしたが、自分にとっては一つの区切りになったような気がします。悲しみを乗り越えていかなくてはと新たなファイトも感じています。 確かに年を重ねましたが、人間的には生き易なり、若い頃より毎日が貴重で楽しく、亡くなった人や自分の周りの人、全てにより寛大な気持ちになれる様に思います。。辛さや悲しみや煩悩を処理できる機能が増してくるという面では、人間年を取るのもなかなかいいものです。あと10日位したら仕事にも復帰して、実家の方付けを本格的に始めようと思っています。 |
| 福岡の虐待事件の事。 2002,06,20 |
| 先月のフリーマーケットの時に、友人のTさんから虐待された子猫の写真が週刊誌に載っている事を知らされました。 その頃自分の身にいろんな事が起こって、その事件が耳に入らなかった訳ではなかったのですが、気がつかないフリをしていました。はっきり言って知りたくなかったんです。子猫を4時間に渡って徐々に苦しめ、死に至らしめ、その場面をインターネット2チャンネル掲示板で得意げに書き込み、画像を放映して問題になった福岡の事件の事です。 その日、Tさんがその週刊誌を持って来て下さったので、仕方なくという感じで一目だけ見てしまったのです。 私は本当に気が小さく、その手の写真はとても見られない人間なので、吐き気がするくらいの悪寒がして、それ以後は古新聞の束の中に隠してしまいました。(Tさんごめんなさいm(__)m) 忘れようと必死になっていました。 次の日に自分の手術もあり、ありがたい事に少し忘れかけていました。自分の痛みでそれどころじゃなかったのです。 そして弱い私は忘れかけている事に安堵の気持ちすら持っていたのです。 6月16日に母の四十九日の法要と納骨を済ませ、家に帰ってやれやれとPCを開くと、大好きな「はじまりはいつも猫」のサイトオーナーのkanakoさんから、掲示板に書き込みがありました。 それは私が忘れかけていた、あの虐待事件に胸を痛めた方が作ったサイトの紹介でした。私の心は、わさわさとしました。はっきり言って見たくないと思う気持ちが大半を占めました。 でも同時に見なくてはいけないという気持ちもありました。しばらく両方の気持ちが天秤棒の先の錘のように揺れ、そして私は勇気を奮い起こしました。 そのサイト中にはいろんな情報がありました。犯人の顔、そして履歴、親の事、今までの虐待の経緯・・・それはとてもとても酷くてこの場で書き込みも出来ないほどです。リンクをたどって子猫の虐待の経過をフラッシュで見てしまった時は心臓が止まるほどでした。 その実態についてはもうこれ以上知りたくないです。異常な精神状態で、耐えがたい苦しみの果てに殺したという事だけで充分です。 でもそのサイトで言わんとしている事は、この子猫、こげんたちゃんの死を無駄にしないようにするにはどうしたらいいのかを考えていこうという事でした。心ある人たちで立ち上がり、検察庁に上申書を提出したり、署名を集めたりと、この事をこのまま終わらせないように、最終的には動物愛護法をも変革していきたいという強い意志が感じられました。 こんな事をした犯人が、未だ書類送検で審査中、今の所は何の咎も受けずに社会に戻っています。そして彼自身で自分のHPに、親が100万円払えば終わる、何とも思っていないと書き込みしているそうです。何の反省もありません。愛護法の中には動物虐待は1年以下の懲役、又は100万円以下の罰金とありますが、どうせなら懲役にしてもらいたいですね、その2つしか選べないなら・・・でも最悪処分を何も受けずに終わるという事もあるそうです。 本当はこげんたちゃんと同じようにしてやりたいけど。こげんたちゃんは元飼い猫で、やられる1週間前に捨てられた子であるという事も調査済みだそうです。捨てた人はこの子の末路に気がついているでしょうか?元飼い猫だから、人間を信じて、ご飯をもらえてうれしい顔をしていたのです。それはこげんたちゃんの短い命の火が燃え尽きるほんの数時間前の顔でした。 その顔、ホントに泣けましたね〜。捨て猫は虐待しても、飼い猫に対してと罪の重さが違うそうです。命は飼い猫も捨て猫も同じですよね!本当に悲しい現実です。 又両親は警察で、この猫の首吊りの写真は合成写真だと言ったそうです。 後日テレビ局の調査で合成ではない事が証明されるのですが、合成だったらどんなに良かったか・・・・ 学校の教頭をしているという親に育てられ、心の教育がなされていなかったと思うのは私だけでしょうか?偏見でしょうか? そして、これ以後も動物を虐待し続け、いつかは人間にも毒牙を伸ばしていくのではないかと思うのは私だけでしょうか? 彼は猫をたくさん虐待していますが、その前にはハムスターを酷いやり方で虐待しています。じわじわと死なないようにいたぶり続け、その事をネットで自慢げに書き込む・・・その書き込みも見ました。 神戸の事件が起きた時、世間は少年Aがその前に猫をたくさん殺している事をさんざん話題にしました。動物虐待がこういう犯罪者の初期行動だと。だとしたら今回の犯人の今後が本当に心配です。 それで福岡県警に、彼の今後の動向をしっかり見張って欲しいという旨のメールを出しました。このまま野放しにしないでほしいですね。 それと私が言いたい事は、言っても仕方ないのですが、行政の法の元で合法的に、苦しみの殺処分をしているこの国、それ自体が一番の問題じゃないかということです。理論的にいったら法の元に合法的だったら、苦しめて殺してもいいのかという事になります。それを考えると何もかもが空しくなりますが・・・いつかはその事に焦点が当てられる時が来るでしょうか?希望を持てる国でしょうか・・・・・ とりあえずは私の気持ちの中で、署名を集めようという気持ちになっています。今回、静岡の公共施設の猫の問題で全国から市の方に質問文やら嘆願の書やらがたくさん集まりました。館長さんはじめ、施設のお偉いさん達が非常に困惑して、それもあっていい方向に話し合いが向かっている事を良く知っている私は、全国からの署名は無駄じゃないと思っています。 犯人の罪は未だ確定していません。動物愛護法違反容疑で書類送検されたまま、審査中です。だからたくさんの署名で検察庁の方がこの事をもっと問題視してくださる事を切に望みます。物足りない刑ですがせめても実刑にして頂きたいですね、そうしないと又同じような犯罪者が出てきてしまいます。 同じ気持ちを持つ人、一歩引く人、関わりたくない人いろんな人がいますが、やっぱり私はこげんたちゃんのあのつぶらな瞳に負けました。理屈じゃないんですよね〜。そんな気持ちの方たちと頑張って行きたいと今は思っています。 |

| 福岡の虐待事件の事に思う。 2002,06,24 |
| こげんたちゃんリンクが50件を超えて10日間でアクセスが1万件を超え、そしてそして福岡検察が審議中との事を知りうれしい気持ちでいっぱいです。 確かに実際に猫を好きな人からすれば、この事件は知りたくない、迷惑メールの様に感じられるかもしれません。そこから一歩気持ちを切り替えるだけで勇気が要ります。でも(私を含めて)そういう気持ちに切り替えた人がたくさんいるという事はとても励みになりました。 動物に対する姿勢が、先進国といわれている欧米、アメリカ等と比べて格段に遅れている事実も世の中に知らしめたいですね。 経済とかGNPとかも大事でしょうが、そういう面の改革も大切だと思います。なんでも欧米、アメリカの真似をするこの国にあって、そういう倫理的な事がなおざりにされている事に危機感を感じます。 飛躍し過ぎかもしれませんが、子供達の教育にも同じ事が言えると思います。根本的なポリシーがありません。ついこの間までゆとり教育等と言っていたかと思えば、最近はゆとり教育で、全体的に学力が下がって来たと言い出し、ここ静岡県では受験様式が今年度からがらっと様変わりします。つい数年前ですよ、偏差値主義は止めて学力オンリーではない受験、と声を大にしていたのは…それが今年度から又元に戻されつつある様に思えます、まだゆとり教育の結果も出ていませんのに。 一貫したポリシーがないという事はこういう事でもわかります。根本的な倫理観、精神的な教育がほとんどなされない事は命ある動物に対するあまりに後進国的な処置を見れば一目瞭然。 つまりは何事もうわべだけだと思わざるをえません。そういう事はいたる所で感じられますが、少しづつでも改善されていく事を願っています。 遠回りと思っても、そうではない事もたくさんあります。心の教育ってそんなものですよね。 せめて世のお母さま達、やがては大人になる子供達を育てていく指命を持ったそんな人達には、小さな命の大切さを感じてそして解ってもらいたいと思っています。 動物のお医者さん、竹田津実先生は言っていらっしゃいます、小さな動物を救ってやりたいと持ってくるのは小学校低学年までの子供と、あとリタイア−した老人だけだと。それ以外の人は消えそうになっている小さな命になかなか気付かないか、気付いても気付かぬフリをしている。先生は、気付く者はこの世の中で競争というものと無縁な人達と位置付けています。この論理は目からうろこでしたが、本当にそうかもしれません、気付いてしまう私ははたして小学校低学年か?老人か?… というより人と争うという気持ちがかなり薄いという事は言えます。 そこが私の最大の欠点と思っていましたが、思い直し長所と思う事にしましょう(単純)。 私の好きな(多分イソップ?)のお話に「北風と太陽」というのがあります。北風と太陽、どちらが旅人の上着を脱がせる事が出来るかという、よく知られた有名なお話です。結局冷たく強い風を吹かせて脱がせようとした北風は失敗し、暖かい光を降り注いだ太陽がそれに成功したという極シンプルなあれです。 だけどこの中に本当の教育は何かという事が優しく語られていると思いますが如何でしょうか?私には結構人生の指針にしている部分があります。 最初の話とかけ離れてしまったようですが、虐待犯人が暖かい太陽の光に照らされ続けて育っていたらこんな事はなかったのでは…と思う私です。 |
| シェリーの死 2002,07.03 |
| 横になっていたシェり−は3回、後ろ足で強く宙を蹴り、そして目をむいて大きくのけぞると、ヒューという声にならない声を上げて息絶えました。夜中の2時30分でした。 不憫で不憫で今日は寝ないで付き添おうと思っていた私は、思わず「頑張ったね」と、あふれる涙と共に号泣していました。 先月の中ごろ、3歳の雌猫シェリーの下腹辺りが異様に垂れ下がっているのを見つけた私は、それがこんなにも悲しい結末に、こんなに早く移行していくとは思ってもみませんでした。 お腹は垂れているのに背中の骨はごつごつで、そう言えば最近食べる量も減っていた様に思え、もし腹水のたまる猫伝染性腹膜炎だったらとかエイズかもとか、嫌な病名がいろいろと浮かんできました。 通院してエコー、レントゲン、血液監査をしてもらった結果、貧血がひどく、全身に浮腫があり、それはかなり深刻だといわれました。気付かなかった自分を責める私に、先生は気付かなくて当然ですと言って下さいました。 病名はネフローゼ症候群。人間でも難病に位置している病気です。ステロイドでしか治らない病気、完治の難しい病気、腎不全に移行し、死に至る病気、そう言われました。 そういう時って不思議なもので、信じたくないんですよね、きっとこの子に限っては大丈夫治るし、治してみせるっていう気持ちがふつふつと沸いてきました。 日頃からとても女らしくておとなしい性格のシェリーは、子供たちに一番可愛いがられていました。娘が、お小遣いを減らしていいから飼って欲しいと言って、生後2ヶ月で家に来た時、1年前からいたレオに頼りきりでその仲の良い姿に、どんなに心癒された事でしょう。お刺身が大好きで食べたいけど取ると叱られるので、前足でそっとお刺身をなでて、それを口に持って行ってぺろぺろなめる、そんなシェリーがいじらしく可愛かった。結局はそれでいつも、まんまとお刺身の略奪に成功したのですが。 先生も効果のある治療方法を一生懸命に考えてくださり、私もネットで検索して不遜ながら、こうしたら治るのでは、ああしたらいいのではと思いめぐらしました。事実注射やお薬を換えてそのつど対処しながらシェリーはとても頑張っていました。 そんな願いも空しく、容態は一進一退、でも少しづつ悪化していきました。最後の最後の方法として輸血をする事になり、ドナーがいなかったのでレオの血を輸血する事になりました。「レオちゃん、頑張ってくれましたよ」と先生に褒められたレオはいつもより頼もしく見えました。そのせいで貧血の状態が安定したので、かなり迷ったのですが最後の手段として抗がん剤治療をする事になりました。お休みも返上して付きっ切りで診て下さった先生に預け、その日はひとまず家に帰る事にしました。 その夜、具合はどうなのか、いても立ってもいられなかった私に先生から涙声の電話があり、未だ抗がん剤の治療をしてないけど、もう腎臓が全く機能していないからこれ以上の治療は無理だと・・・・「もうお家で診てあげた方がシェリーちゃんには幸せだと思います」と。 助けてあげられなくて残念ですと言う先生に、こんなに成るまで気付かなかった私にこそ責任があると思いました。本当に本当にごめんね! 病院からの帰り道、カーラジオからサザンの「いとしのエリー」が流れてきました。 ♪あなたがもしもどこかの遠くへ行き失せても
今までしてくれたことを忘れずにいたいよ もどかしさもあなたにゃ程よくいいね Ellie My Love So Sweet♪ エリーの部分をシェリーに置き換えて涙が止まらない私に主人が言いました、「来てからずっと皆に可愛がられていい猫生だったじゃないか。」と。 うん、そうかもしれない、そしてこれは運命かも・・・・今年は、本当に長生きすると心から思っていた元気な主人の母と私のの母が相次いで亡くなりました。誰にもわからないけど、運命かもしれません。天から与えられた決められた生なのかも。 そして、一番可愛がっていた娘が言いました、今にきっとそっくりな子猫として私たちの目の前に又、現れてくれると・・・・ (家の子になってくれた日のシェリー) → ![]() |

| 動物実験に使われたチンパンジー 2002,07,30 |
毎日新聞の「発信箱」というコラムに「チンパンジーの光と影」と題して、少し気になる記事がありました。 まず光の部分は、天才チンパンジーのアイと息子のアユムの事をあげていました。よくテレビでも取りあげられますよね。人間でない彼らの人間そっくりのところが何とも微笑ましく、話題になる所以でしょう。 それの対極をなす話題として、つまりは影の部分ですが、詳細は次の通りです。 国内のチンパンジーは約370頭。270等は動物園で暮らしています。残る100頭の内、アイちゃんのいる京大霊長類研究所には14頭いますが、問題は、製薬会社の三和科学研究所、熊本霊長類パークで生活する85頭です。 彼らは70年代にB型肝炎ウイルスの感染実験に使われたチンパンジーとその子孫だそうです。国家プロジェクトだった、B型肝炎ワクチン開発の為に、国でアフリカから輸入したそうです。実験終了後、三和がボランティアで引き取ったそうですが、数年前から維持費の負担が思わしくなくなって来たそうです。 日本霊長学会などが国有化を訴えましたが反応は鈍く、東大の教官有志が「救済委員会」を作り、対策を練ってきたそうです。 今年度、文部省が始めた生物資源バンクのプロジェクトでやっと調査費がつきましたが、はっきりした行く末は決まっていません。安楽死は許されず、国有化できなければ海外への譲渡などを考えなくてはなりません。 現在野生のチンパンジーは約10万頭。絶滅の危機にひんし、もはや輸入はできません。コラム執筆者は、認知科学やゲノム科学などの研究に欠かせないので国内できちんと処遇すべきだと結んでいます。 付け加えて、「進化の隣人」への配慮がないまま輸入し、データが得られた後は、知らんぷりでは、彼らから「人間として恥ずかしくない?」と問われそうな気がすると文を終えていました。 人間に最も近い存在であるチンパンジー、それも生体実験の為に海外から連れてきた彼ら。さんざん実験をしておいて、用がなくなったら、後始末に困って放出する、本当に呆れますね!先進国と言われるこの国で、研究方々終生飼育をする事くらい出来ない相談なのでしょうか? チンパンジーでさえ、それも人間の為にさんざん利用したのにこの始末です。こんな扱いをする国が犬猫の殺処分に、改善の余地がないのは当たり前かもしれませんね。 本当にこの記事を見てがっかりしました。まだまだ動物の明るい未来は、この国では遠い遠いはるか彼方という気がしてきました。 因みに最近トップページにリンクさせて頂いた、サイト名「はじまりはいつも猫」のオーナーkanakoさんがまとめて下さった、イギリスの「アニマルポリス」。動物愛護では、180年の歴史があるイギリスとは、比べようもないかもしれませんが、せめていいお手本として少しづつでも近づいていけるといいですね。このチンパンジー達の今後の処遇も気になる所ですが、少なくとも後戻りなどないように、みんなで見守って行きたいですね。 「アニマルポリス」 http://www.kanakana.com/animalpolice/index.html |

| 新聞の投稿欄に載った愛護関連記事 2002,08,05 |
| 7月23日 静岡新聞投書欄「ひろば」掲載記事より。 「規則が邪魔して犬引き取れず」 静岡市 藤原○子 すごく心が痛くなることがありました。 規則が邪魔してかわいそうな犬を助けることができなかったのです。 我が家で念願かなってやっと犬を飼える事になり、静岡市産女(ウブメ)にある動物愛護センターに犬をもらいに行ってみると 「手続き前の子犬は譲れるけど処分寸前の犬は譲れない」 というのです。 私はそういう犬を預かりたいという真剣な気持ちで行ったにもかかわらず特に説明もなくかえされました。 命ある動物を引き取り大切にしますと申し出ている者がいるにもかかわらず、「無理です。処分が決まっています」の一点張りの態度に正直、とてもショックを受けました。行政で決められていることだということでしょうがどういう訳でしょう。1匹でも助けることができたらと思うのは私だけでしょうか? 人間も動物も命の大切さは一緒です。もう少し柔軟な対応をしていただきたいと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7月29日 同じく「ひろば」投書記事より。 「動物保護する活動に関心を」 浜松市 大石○代 23日付けの本欄で規則が邪魔して犬がひきとれなかった事が載っていましたが本当に残念です。でも若い方が動物の保護に関心をもっていただけるだけで、うれしいことだと思います。 私は今、動物の保護活動として真夏の炎天下、資金集めのバザーやパネル展を手伝っていますが動物に対して関心の薄いことに驚かされます。 処分させる犬猫たちが安楽死というのはまったくの誤解で、二酸化炭素による窒息死で長くもがき苦しんで死んでいきます。子猫たちには注射による薬殺が待っています。何より動物たちは自分の運命をふるえながら毎日受け入れて、この恐怖といったらとても正気でいられないでしょう。 大きくなったから、病気でお金がかかるから、生まれてしまったからという理由で捨てられる動物は、後を絶ちません。でもその反対に保護をしている人間がいることも確かなことです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8月3日 同じく「ひろば」投書記事 「犬猫処分の最後を知って!」 静岡市 ハッチー(もちろん本名載せていますが) 23日の投稿記事に愛護センターに処分寸前の犬を飼ってやろうと引き取りに行ったのに、処分が決まっているの一点張りでとてもショックを受けたという記事がありました。 皆さんは行政で行われている処分はどのようなものだと思われますか? それは安楽死とは名ばかりの炭酸ガスによる窒息死で、真綿で締められるように長時間苦しみ、苦痛にゆがんだ顔のまま死んでいきます。 引越しで連れて行けないからとか、飼い犬飼い猫が子供を生んでしまったからとか、愛護センターに持ち込む人は多分に安楽に死なせてくれるところと思っているのかもしれません。信じていた飼い主にそのような処分を強いられれた犬猫は一日ごとに処分に向かって部屋を移動させられ、恐怖におののいて最後を迎えます。 23日に投稿された方は、きっとそれをご存知で一匹でも救ってやりたいと思われたのに違いありません。仮にも愛護センターという名前のついた施設なのですから、そういう方のお気持ちを汲んで柔軟な対応ができるように改善して欲しいと願ってやみません。 ちなみに東京都では健康局管内で愛護事業を推進しています。条件をクリアし、譲渡前講習を受ければ誰でも処分犬猫の里親になれるし、ホームページでどんな犬猫が収容されているのか検索できるようにもなっています。 |
| 学校で犬を飼うという事。 2002,08,31 |
| ある日、お世話になっている動物病院から電話がありました。 小学6年生の3人組が、犬を保護したので里親探しをして欲しいというものでした。 何でも里親が見付かるまでは学校に置いて皆で交代で世話をする、カンパも募る、用務員さんがもう小屋も作ってくれているという事でした。 私は単純に良い話だと思ってしまいました。ただ飼い犬かもしれないからそれを先に調べなきゃと思いました。 次の日、胸騒ぎがした私は病院に相談した方のところに電話してみました。 そしてちょっと心配になるような事を耳にしてしまいました。 それはこの犬を見つけて捕まえたのはもう2週間程前だという事、そしてその時子ども達が派出所に連れて行ったのですが、派出所のおまわりさんはそのまま動物愛護センターに連れて行ってしまったという事。 愛護さんターに連れて行かれたのなら、飼い主が解らない場合1週間で浜松の処分センターに送られてしまうのです。 その後担任の先生やら関わっていた子供のお母さんやらに聞いたところ、収容されてすぐに、学校で引き取るか里親になる人を見つけるから浜松には送らずにそのままにしておいて欲しいと頼んである事を知りました。しかしその後、捕まえた3人の子供の父兄の一人が、もしその犬が学校で児童に危害を加えたり、何か問題があった場合に自分たちのせいにされるからと、学校側が引き取りにいっても渡さないで欲しいと、処分の方向に持っていって欲しいと電話を入れている事も知りました。 はたして犬は無事だろうか、私は心配になりました。 が、犬は未だ収容されていたんですよ。 誰かが里親になるという保障がないと引き取らせてくれないという愛護センターの言い分を受けて、私がなるからととりあえず預かってしまいました。 かと言っても家には犬を飼う場所はなく、二晩そのわんこを預かったところで校長先生に電話を入れました。 学校で皆で飼育すると言っていたので預かった事、誰かが里親になると言わなければ処分されていた事などを話して学校の協力を仰ぎました。校長先生はとてもいい方で教育の一環として生き物の命を大切に!という事を子供たちに教えるためにも是非学校に置いて皆で世話をさせたいとおっしゃってくれました。 そんなこんなでそのテリアミックスの犬は子供たちからみなみちゃんという名前を付けてもらって学校のプール下の広い広い倉庫に収容される事になりました。そこは四方が大きい目の金網で囲ってあり、まわりの木々は良く見えるし風通しも最高で日向も日陰もあります。校長先生は校庭の木々の下に犬小屋を置いていつでも子供たちと触れ合えるようにと言って下さったのですが、担任の先生がもし危害を加えると責任問題だからと、倉庫を薦めたのです。 とりあえず夏休みだったので私と世話係の子供たち二人と担任の先生とで世話をしに通うことになりました。倉庫の鍵もその数人が個々に持っていて管理する事にしました。二人の子供たちは最初にみなみちゃんを保護し、その後も彼女のために献身的に動いていた子達です。 そんなこんなで数日が過ぎようとしていたある日、世話係の子供の友達が一緒に世話をしていたのですが、犬が噛みそうだったからとリードを離し、みなみちゃんは脱兎の如く逃げていってしまったのです。犬に慣れていない、あまり犬が好きではない子だったようです。 必死の捜索もむなしくみなみちゃんの居所は依然わかっていません。 そこら中にポスターも貼り探していますが見つかりません。病院、交番、愛護センターにも届けてあるのですが。 ある日、その犬がいたと電話をもらって行ってみたら違う犬で、仕方なく家に連れてきて一晩泊めた事もあります。その犬は次の日に飼い主さんが見つかったので良かったのですが。 みんなが、みなみちゃんはわりといつも放し飼いにされていた犬で、何食わぬ顔で家に帰ったんじゃないかと言ったりしています。そうだといいのですが。 先日校長先生に鍵を返しに行って、 「学校で犬を飼うことってやっぱりとても大変なことなんですね。勉強になりました」 と言いました。そこが、学校で飼う動物がうさぎやちゃぼや鶏止まりである由縁なのかもしれません。 よくTV「きょうのわんこ」等でそんな話が微笑ましい逸話として放送されたりしますが、経験してみてよくわかりました。 学校にはいろんな子供、いろんな考えの父兄がいます。どんな事をされ危害を加えられる、又は危害を加えてしまうかもしれません。犬は人間に近い感情があるからこそ難しいかもしれません。それに大勢の人が関わりすぎると誰をリーダーとして認識していいのか、彼らは迷います。 最後に校長先生が、 「結果はともあれ、子供たちと真剣に関わってくださってありがとう」 とおっしゃって下さいました。 救われた気がしました。うれしかったです。 みなみちゃんと倉庫と犬小屋の一部 → ![]() |

| みなみちゃん、保護??? 2002,10,06 |
| 前記のみなみちゃんを捜索するためポスターを作って、交番やスーパー、ペットフード屋等に貼って頂いたので今日までに3件の問い合わせがありました。 最初の1件はヨークシャーテリアで大きさが全く違っていました。 熟年男性が2週間ほど保護していた犬で、ある町内放送のスピーカーから流れてきた情報を、私の迷子探しのポスターをスーパーで見かけたご婦人がイメージで一致すると思い、お電話して下さったものでした。 問い合わせて毛色や大きさにかなりの違いがあったので「私の探している犬と違う犬です」と申し上げました。 その男性は、近所に聞き合わせたり町内放送してもらったり一生懸命探しているけど手がかりがないとぼやいていらっしゃいましたがその後、何と向いの家の犬だったとのご連絡を頂きびっくりしました。 「灯台下暗し」というのはこの事です。 その後又見たような気がするので、もう一度見かけたら連絡するというのが、いなくなった所からかなり北に行った場所からありました。でもその情報は其れっきりでした。 それからだいぶ経った一昨日、ポスターを貼ったフード屋さんから、今犬を預かっているという情報のあったその犬が、直感でお宅で探している犬だと思うとの電話がありました。 すぐに問い合わせてお聞きましたが、全身薄茶のオス犬で白茶のみなみちゃんとはぜんぜん違っていました。そのお宅では仕事が忙しく、放棄されたらしいその犬の面倒を見切れないので、どうしたらいいのかと困っているようでした。捨てられていた猫を4匹飼っているお宅で、何とかしてあげたいのだけどという奥さんに対して、ご主人はあと10日ぐらい留置したら愛護センターに連れて行こうとおっしゃっているそうです。もちろんセンターや獣医師会にも問い合わせをしているが迷子としての届出がないようだという事でした。もう2週間近く届出がないので、多分放棄犬だと思う旨をお話しました。そして私としてもセンターに連れて行くのは忍びないので里親探しのお手伝いをしますと申し上げました。ついてはまず、病院で検診とフェラリアの検査をして欲しい旨お願いしましたら、快く応じて頂けました。 ところで今日は私達のボランティア仲間で、救済費を捻出するためのフリーマーケットを開催しました。 一度その犬を見たり、仲間にも認知して貰うためにも連れて来てもらう事を約束してありましたが、連れてこられた犬を見て、みなみちゃんとは似ても似つかない容貌でしたが、おとなしくてお座りやお手も出来るというその犬のヌボーっとしたとぼけた顔を見ていると、何とか良い里親さんを見つけてあげたいと思わずにはいられませんでした。 全くの雑種犬ですが、なんとも言えない愛くるしさがあります。けっして容貌が可愛いという訳ではないのですが、いい味?出しています。 昨日は又変な日で、ある事から知り合った方から、老プードルの貰い手さんを探したいと言われました。そのプードルは高齢になって飼い主に保健所に連れて来られた不憫な犬です。 私の友人はいなくなった豆柴犬を探しているのですが、その犬ではないかとの問い合わせのたびに、似ているけど違う犬をもう3匹保護して世話をしています。迷子犬の情報で行ってみて違っていても、その犬の処置に困って愛護センターにやらざるをえないと言われると、止むに止まれず連れ帰ってしまうのです。 だからいなくなった犬を探すのは本当に勇気のいる事です。「家の犬ではありません、その犬はどうにでもしてください。」と言える人はいいのかもしれませんが、そうでない人にはある意味自殺行為です(笑) 特にそこらにいっぱいいるタイプの犬を探す場合は・・・ 嫌になったから引越しするから、年を取ったから、病気になったからと放棄しないで頂きたいです。 そして行政にも今一度言いたいです。動物の遺棄は犯罪なんですよね!絵に書いた餅にならないように、是非なにか対策を高じて欲しいのです。 話は違いますが、フリーマーケットの時に「動物たちのレクイエム」とか「路傍の猫」などの書籍からの啓発のパネルや、私達で保護して幸せになった犬猫たちの経緯を紹介するパネルを展示するんですが、その前で涙を流して募金してくれる方々がたくさんいらっしゃいます。特に子供達にそういう気持ちの子が多いように思います。自分のお財布から50円、100円を出して募金箱に入れてくれるのを見た時、金額ではなくその気持ちに感謝し、未来につなげて欲しいと願って止みません。 みなみちゃんに全然似てないテリアミックス君 → ![]() |

| 人間の里子と犬猫の里子、呼び名が同じではいけませんか? 2002,10,13 |
| 先日、人間の里子を迎えた方からのメールがありました。 子供が大きくなってネットで自分のこと(里子)を検索した場合、犬猫の情報ばかりを目にする事になる、そうしたら自分は犬猫のように捨てられたのかと思ってしまう。だから犬猫の貰い手さんを里親、犬猫を里子と言うのを止めて欲しいというものでした。 人間の里親里子というのは、どことなくタブー視されている様に思います。それゆえ検索してもほんの少しの情報しか得られません。(また何となく重苦しい空気が漂うと思うのは私の思い過ごしでしょうか?) 確かに、その情報の何十倍もの数の犬猫の里親情報がにぎやかに掲載されています。 私はそのメールが届くまで一度もその事について考えた事はありませんでした。ダイアリで人間の子供の里親事情について触れた事はあっても、里子となった子供がネット検索で捨てられた犬猫と自分の肩書きが同じと知ったら悲しむのではないかなんて・・・ だからそのお返事がまだ出来ずにいます。メールを下さった方はきっと私が無視していると思っている事でしょう。 でもそうではないんです。あまりにも重い問題で答えを見つけられずにいるんです。 今日NHKで60人の里子を育て上げ、まだ幾人かの子供の面倒をみているある初老の夫婦のドキュメンタリーが報じられていました。確かに犬猫に比べたら比べ物にならないほどのご苦労があるのでしょう。叱る時は体当たりで真剣にきびしく、そして最後は抱きしめて心から励ます。毎日何人もの子供を体当たりで育てるなんて、如何にたいへんか!里子に来るまでどんな風に育っているか、心にどんな傷を負っているのか、それは体当たりでぶつかって始めてわかるものだそうです。心の問題は一番やっかいですが、それ以外にも思いもかけない習慣、または習慣の欠如を目の当たりにする事も多々あるそうです。4歳のある子は、里子に引き取られるまで歯を磨く習慣がなかったために、虫歯だらけだったそうです。食べ物はいつも水かジュースで流し込んでいたという事です。 日本人は自分の血、そして祖先から脈々と受け継がれる「血縁」というものを確かに重んじる国民です。それは幸か不幸か、過去に他民族の侵略や交流がなかったからかもしれません。それが又、他人の血を無条件に受け入れる里子というものに拒否反応を示す一因かもしれません。 よくテレビなどで、アメリカ人などが何人もの里子を、しかも肌の色の全然違う子供を受け入れているのを見ると思わず感嘆の声を上げてしまいます。違う方面から見れば、そういうのって多分にキリスト教的な思想も影響しているのではないでしょうか? 何はともあれ日本でも、何の遠慮ややましさもなく、里子里親について語り合い交流し合い、影の部分から引き上げる事が出来たら、その時は犬猫の云々というのは気にならなくなるのではと思う私です。 でもきっとこんな事を言っても、あなたは本当に経験してないからわからないと言われるのが関の山だと思います。日本で里子をもらおうとする人は、誰にも真相を知られずに真に自分の子として見られたり、成りすましたりしたいのだと思います。そして里子にしたその子にもなるべく知られたくない、もしも知った時にはショックを感じさせたくない・・・そして周りからも言われたくない・・・ 前出のアメリカ人の感覚とは又違うものなのでしょう。でもだから、なにか内緒事の様な重苦しい雰囲気が漂ってくるのではないでしょうか? さあもし私に子供がなかったらどう思うでしょうか?自分の子として内密にどこからか里子をもらうでしょうか? 今の私には想像でしかありませんが、いろんな面で平均的日本人の私は、多分自然の成り行きと思ってそのままで暮らす事と思います。 平均的な日本人がそういう考えだとしたら、恵まれない子を里子にもらって大きく育てるという事はいい事だと、もっと声を大にして世に知らしめた方がいいのでしょうか。不幸の度合いが違ってもそれこそ良い方に貰われた犬猫達のように幸せになれる子供が増える事と思いますから。 今日本には里子をもらいたいと願っている家族は7400組あまりだそうです。その方々はどの様な考えで、どの様な状況で里子と暮らすのでしょうか?NHKのドキュメントでは、今年から来年、里子の支援体制がより整って、成立し易くなると結んでいました。 日本でもやっと、その部分にスポットが当たってきたのでしょう。ある意味意義のあることだと思うし、そちらの方が市民権を得て、呼び方云々の議論をされる事は、はなはだ良い事だと思う私です。 でも自分としては今しばらくこの言葉を使わせて頂きたいのです。m(_ _)m |

| 幸せなまりんちゃん♪ 2002,10,19 |
| 私には近所にとても良いお友達がいます。お向かいに住んでいるIさんご夫婦です。 Iさん宅には、もと野良さんだった猫たちが6匹います。犬も3匹います。 私は未だかつてIさんご夫婦ほど心底優しい方々にお会いした事がありません。ご主人もとても良い方ですが、特に奥様はこの世の汚れという物を全く知らない、観音様か天女かというような方です。 そしてそのIさんと、いつも犬猫を幸せにする為にお話したり、一緒に活動する事が出来て本当に恵まれているな〜と思っている私です。 12日の土曜日の正午頃、Iさんの奥さんが息せき切って家にみえました。その腕の中には何ともかわいいむくむくの男の子と女の子の子猫が2匹。何でも犬の散歩の際、土手に捨てられていたのを見つけたとの事。土曜日だったのでどこからか車で来て捨てていったのだと思います。捨てられてそう時間が経たないうちにIさんに拾われたようなのです。もう少し遅かったら車に轢かれていたかもしれません。 何はともあれ、早速ホームページを作成してその日の午後に何箇所かの里親募集HPに掲載させて頂きました。長毛の子猫だったので思ったとおりすぐに貰い手さんが名乗り出て、次の日に沼津からお迎えに来て下さいました。身分証明書も見せてくださり環境的にも申し分のないご夫婦です。本当は2匹兄妹一緒に貰って頂きたかったのですが、かなり迷った末シルバーの男の子だけを貰って頂くことになりました。その後問い合わせのあった、、三重県からの女の子の里親希望さんも申し分のないご夫婦で、19日の今日お迎えに来て頂くことになりました。朝の6時半に家を出て東名高速を5時間かけてお迎えに来て下さった若くて優しいNさんご夫婦はひと目で子猫を気に入って下さり、その場は和やかな空気に満たされ、私とIさんご夫婦は安心感でいっぱいになりました。 遊んだり、うたた寝したりして三重のお宅に着いた子猫は、まりんちゃんという可愛い名前を付けてもらい、NさんのHPに元気に毎日登場しています。先住猫のミンティ君とけんかしたりかけっこしたり何とも楽しい生活をエンジョイしているらしいまりんちゃんです。 ミンティママ、ミンティパパさん、200%可愛がってくださってありがとうございます! http://www10.plala.or.jp/mintea/ 遊びに行ってくださいね!! 捨てられてた兄妹猫 まりんちゃん |
| ボランティア活動の仲間集め。 2002,10,22 |
| 今年の3月から関わっている、市の公共施設のノラ猫さん達の世話について最近つくづくたいへんだな〜と思うのは、そこに関わるボランティアさんの個々の考え方の違いによるすれ違いです。 今年の3月下旬、その施設では、猫が増えた事により一斉捕獲が行われるとの噂がどこからか流れました。あわてた友人が仲間集めをしました。集まった皆で真実を確かめたり、施設のトップの方々、市会議員の方、愛護センターの方と話し合いの場を作って頂き、餌の置き場所を決め、避妊去勢、子猫の里親探しの施行を約束して何とかそのままの状態で猫たちを黙認してもらう事になりました。 それから約半年が過ぎました。 個々のボランティアさんがそれぞれ、今までの経験や自分なりの思考で活動したい、又はしようと思っている訳で、どれが正しいと言えるものも無く、それぞれが試行錯誤して何とかここまで来ました。みんなが本当に真摯に一生懸命頑張ってやってきました。 ところが、考え方の違いや、性格の違いなどで誤解してしまったり、ともするとギクシャクしがちな昨今であります。 そんな折、愛知県で活動していらっしゃる、かずみさんの「Hello Nyanko]の中の「愛護団体やグループで思うこと」を読ませていただき、「もうそのとおり!!!おっしゃるとおりです、」(笑)と感嘆してしまった私です。 ボランティア活動の指針としたい内容ですのでここにコピペさせて頂きました。m(__)m ***************************************************************************** 動物を思うあまり、団体や個人の中には極端に走りやすい人もいる。 ただあまりに理想に走りすぎても、ついていける人ばかりではない。 なぜなら愛護の考えややり方は環境などにも左右され、人それぞれ幅があるから。 もし出来ない人がいて非難されるならば、初心者はすぐに帰ってしまうだろう。 万人に理解をもとめ、仲間を増やしたいなら最低のラインを守ってくれさえすればいいと考えることも必要ではないだろうか。 私の中のガイドラインは「不妊手術に賛同してくれればすべて同志」です。 教えて頂いた言葉ですが、頭数コントロールが最初の一歩ではないかと思う。 手術についても賛否両論はあるが、愛護というとなぜかおかしくなる。 現在の飼い主のモラルと社会状況を考えれば、今は手術しか解決の道はないかと思う。 でなければ、増える猫や犬により迷惑を被っている人達の救済は無理であると考える。 後のことは多少の不具合があっても理想に近づけていけるように努力するということでよしとしたい。 |

| 宮島の鹿について。 2002,11,04 |
| 3,4日と職場の旅行で広島に行ってきました。 原爆資料館、見ごたえありましたね!核廃絶は絶対実現して欲しい事です。そうでなければいつかは核戦争によって地球は滅びるのではと真剣に危惧してしまいました。話題の北朝鮮の核保有は確かに心配ですが、これに難くせつけているアメリカは持っていて良いのか?「何でかな〜っ」て思うのは私だけではないと思うのですが・・・全ての国で廃絶して欲しいです。まず世界のお目付け役的なアメリカがお手本を見せて欲しいのですが。如何なものでしょうか。 宿泊は宮島でした。町のあちこちにいる鹿がとても可愛かったです。鹿の生態なんて知らなかったので、夜もお土産店の軒先やメインストリート?で寝ている鹿たちを見て少なからずびっくりしました。山の方とかに集落的なねぐらがあるのではと思っていたのですが・・・そこで少し調べてみました。 宮島が島として誕生したのは約6千年前ですが、なんと鹿はすでにその頃から棲んでたそうです。鹿は奈良と並び、宮島を代表する動物で、その数はだいたい400から900頭と推定されています。そのうち約300頭が街中に棲んでいますが、最近鹿が街中に増え過ぎたという点が、問題になっているそうです。 街中に約300頭というのは過密状態だそうです。通常ならこんなに増えないし棲めないのに、人間が餌をやるからどんどん増え、棲みついてゆく。 昔はどうだったかというと、江戸時代には各家の前に「鹿桶」が置かれ、残飯を与えていたそうです。しかしその餌の質、量は今と比べて格段に低いもので、そう影響はなかったのです。鹿は草食動物ですから草を食べてミネラル成分を補給しているのですが、宮島には草本類はもともと少なくて、今はそこへ糖質の多い餌ばかりをやり、中には消化できないビニールなどの化学製品までも食べてしまうこともあって、発育や病気などに悪影響をおよぼす恐れがあるそうです。 こうしてみると人間にとっても鹿にとっても「一定の距離をもってつきあう事」がいちばんいい事。つまり餌を媒介しないでつきあっていく。イギリスやカナダの国立公園などでは、エサをやっていないし、見たい人は鹿がいるところまでこちらから行くようになっていて、鹿に野生の環境、暮らしを保障しているそうです。日本だけだそうです、鹿に観光客がエサをやるのは。 しかし幸い、宮島町にも「宮島シカ対策協議会」が発足し、鹿をどういう風に自然に返すか、人と鹿の共存を探り始めたところだそうです。 「宮島自然史研究会」では、宮島の自然をフィールドにした野外博物館なるものを造り、そこで鹿や猿の野生生活を観察し観光客とともに楽しむ。あるいは宮島は外国の研究者が注目するほどの原生林を含む貴重で豊富な「植物」を抱え込んでいる森があるので、野生の猿や鹿を観察しながらの「1泊2日のエコロジーツアー」などを考えているそうです。 私はとてもいい考え方だと思います。実現したら、出来たら参加してみたいですね。 宮島に限らず、動物と人間、そして自然との関わり方や、観光についてもカナダやイギリスのそれをお手本に、見直す時期が来ているのはないでしょうか?よく日光のお猿さんとか、増えすぎた動物に苦慮しているのをニュースで見ますが、さんざん利用しといて増えすぎたからと邪魔者扱いするのは悲しいですね。 そんな事を考えさせてくれた鹿さんたちでしたが、つぶらな瞳が非常に可愛かった。 そして話はがらっと違いますが、宮島の焼き牡蠣(かき)、うまかった〜〜!! |

| 野良猫問題、新宿区の試み。(NHK朝のニュースより) 2002,11,15 |
| 今日の朝のNHKニュースで、新宿区の野良猫対策について放映されていました。 そういう趣旨のイベント会場からの中継でした。パネルには、「ねこだすけ」さんの垂れ幕とともに、問題を解決する為の多くの掲示がなされていました。 何といってもうらやましいのは、あくまで区の主催である事です。 猫をかわいそうに思って餌をやる人、猫の被害に悩み、排除したいと思う人、両方が自己を主張し続けても平行線を辿ったまま。それではどうしたらいいかという問いかけから始まりました。 区役所の方が出てきてお話しされました。 新宿区では、区ぐるみで野良猫に不妊手術を施し、猫数の統制を図ったら、3年の間に3分の1に減ったそうです。野良猫の寿命は3,4年なのでこういった努力で簡単に成果は現れると。それにしたがって年間百件以上も寄せられていた、猫被害に対する苦情がほとんどなくなったそうです。 最後に、 「野良猫に困ったら相談してください。地域の皆さんと区とボランティアさんとで連携で不妊手術の方向に持って行って、地域猫として見守っていきましょう。ボランティアさんは長年培った経験上のノウハウがあります云々・・。 困ったら、どのようにしたらいいのかこちらに相談して頂きたいです。」 とこの様な事をおっしゃっていました。 本当にうらやましいですね〜。私の市では3月に、ある公共施設の野良猫が殖えてしまい、内密に処分されそうだとのうわさが流れ、そこの猫に関して何の関わりもなかったこまさんをはじめとしたネット仲間が危機感を感じ、それで神奈川の川口さんがサイトを立ち上げて全国に警告して下さったのです。それで全国からの質問メールが市や県に多数届けられるという事になり、市や県でも苦慮してしまったという経緯があります。 こまさんが、市会議員を通じて話し合いを持ちたいと持ちかけました。関連の市の役人さん達は、仕方なくボランティアの言う事に耳を傾けてやるという感じで、 @自前で公共施設の野良猫に不妊手術をする A里親が付きそうな猫は里親探しをする B目立たない、許された場所のみでの給餌 C糞の除去を毎日する という、処分を免れる為の私達のお願い(本当にお願い)に、しぶしぶOKを出してくれたのです。 もし私達が提案をしなかったら、猫を処分するなと全国から言われて、市ではどうするつもりだったのでしょうか?(もちろん処分する事など毛頭考えていなかったとおっしゃっていました、ただ猫数がどんどん増えて困りきっていたと。) そう考えると感謝こそすれ、しぶしぶ応じてやるか、みたいな顔をされるのは心外です。今日の放送を見ていてじわじわと腹が立ってきました。何で私達が細心の注意を払い遠慮しながら、公共施設に迷惑がかからない様に、猫たちに危害が加えられないように心をくだかなきゃならないのか。悪い事をしているかのように世間を気にして・・・ 仲間の一人は一般の、不定期に気まぐれに来る餌やりさんに、やんわりと注意をさせてもらう為に、夕方から10時頃まで見回りしています。 一般の餌やりさんの中には気が向いた時に餌を持って来て、辺り構わずばら撒いて後片付けもしない人が多いのです。猫が食べ散らかしたら朝になってどうなっているでしょう。ドライフードだけならいいのですが、人間の食べ残しやら、魚の焼きほぐしやら多種類に及びます。 世間や行政は、こういう事に対して立ち遅れていると共に、ボラ活動している人達は一部の物好きな人という風潮があります。 だけど、渡辺眞子さんが著書でおっしゃっていたように、のら猫問題は社会問題なんですよ!! それを解決の方向に持って行こうと自ら努力している私たちってすごいじゃありませんか?? 猫が好きだから?それだったら自分の猫を、それだけを可愛がりますよ。 自前でその公共の社会問題を解決しようと頑張っている私たちに感謝して協力して、解決に向かって前向きに考えるという態度は全く見られません。何度も言いますが、しぶしぶ許してやってるという態度ですもの。私たちとうまく共存してやって行くしか未来はありませんし、その方が絶対にお得なのに。 一昨年、愛護センターの所長さんにも無理のない提案をしに行った事がありますが、しょっぱなから、愛護ボランティア(こんな言葉も嫌いだけど)と聞いただけで蕁麻疹が出そうみたいな態度を取られましたよ。非難するような事は何も言ってないのに・・・ もっと周りや未来をしっかり見据えて、そして勉強して欲しいですね。本当に頭が固くて遅れてるんだから。 でも今日の放映を見て、自分たちのやっている事にとても自信が湧きました。 いつかは私達の市も新宿区の様に真の解決を探るべく真剣に考え、予算も組み、そしてボランティアと共存してくれるといいな〜。 |

| 北朝鮮 泣いている女たち (李順玉著)KKベストセラーズ 2002,11,21 |
| 愕然としました! すっかり読み切ったのは一昨日なのですが、忘れよう忘れようとしてもとしても忘れられなくて、それからずっと頭の中を駆け巡り、夢にまで見てうなされるというこの衝撃のすごさをなんと言い表したらいいのでしょうか?! 金日成、正日親子の独裁によるファシズムの、全身が震えるような恐ろしさに、私はただただ唖然として言葉を失いました。 この本が刊行されたのは1997年です。執筆者の李順玉 (イースンオク)さんは1999年に来日し、東京と大阪で講演をしたそうですが、恥ずかしながら本の存在と講演についての全てを、私は今までまったく知らなかったのです。 内容は、無実の罪というよりほとんど言いがかりに近いような冤罪で獲れえられ暗黒裁判にかけられ、刑務所に送られ、5年の歳月を虐待と屈辱に耐え抜き、奇跡的に出獄出来て韓国に亡命した李順玉 さんの告発本です。 彼女はその時39才で、身分階級が出生時からほとんど決まっている北朝鮮にあって、エリート中のエリートでした。加えて夫も、20代で学校の校長になったエリートで、19歳の一人息子は、金日成総合大学に通う秀才だったのです。何不自由のない暮らしと共に、金親子に忠誠を誓っていた彼女たち一家。そんな恵まれたエリート一家に、想像を絶する不幸が襲ってきたのです。 彼女はその時商業管理所の供給所の責任者をしていたそうです。自由主義社会でいうとデパートのような役目を果たす所ですが、北朝鮮には物資が不足していて、日本のように満足に品物がないそうです。警察著長に当たる身分の人が、服地を自分にだけ2着分よこせと言ったので、潔癖な彼女は丁重に断ったそうです。 一番の理由はその恨みと言っても過言ではありませんが、その他にもいろんな思惑が絡み合っているようです。 早い話が金親子を取り巻く上層部の汚職と賄賂の悪政に、都合の悪いものは全て、異端分子として抹殺される、そんな図式になっているのです。 北朝鮮にはその様な収容所(刑務所)が何箇所かあって、そこで強制労働をさせられます。 食べる物も食べさせないで一日の睡眠時間、2〜4時間、そして仕事は想像を絶するような過酷さに、死者は続出します。労働で死ななくても少しでも気に入らない言動をすれば、すぐに公開処刑が待っています。 その無償の労働力で得られた物資、金銭は全て金親子を頂点とした上層部にしか回されません。 北朝鮮の末端の人々の困窮はマスコミを通じて知られる所ですが、この様な一部の鬼畜にも劣る人々は、欲望のおもむくまま私服を肥やしているのです。 彼女に対する容疑は「党の商業政策に違反した罪」と「国家財産を横領した罪」でした。非常に凄惨な拷問の果てに彼女はそれを認めてしまいました。 そして収容所送りとなりました。そこはアウシュビッツに勝るとも劣らない所でした。そして驚くべき事は今、この時にも存在するという事実です。 悲惨さは筆舌に尽くしがたいのですが、それを少し書いてみたいと思います。 仕事のノルマはたいへん厳しく、少しでもへまをしたり、遅れたりとかその他、本当にたわいのない事で殴られたり、蹴られたりしますが、時として独居房に入れられます。そこは横60センチ、高さ1,1メートル、食器を差し入れる穴と排泄物を落とす穴だけが開いている穴倉です。そこに短くて7日程度入れられるのですが、帰ってきた時は脚は蛸のようにふにゃふにゃになっているし、肛門から絶え間なく下血したりして廃人同様になっているそうです。排泄物が落ちるように開いている穴から、冬は氷点下の冷たい風が絶え間なく入り込み、何百ものうじがよじ登ってくるのです。そこからネズミが這い上がって来た時はラッキーだそうです。それを捕まえてそのままむしゃぶり食べる事が出来るから。又夏場は蒸し風呂のような暑さに気も失なわんばかりだそうです。 そこから出された後もすぐに働かされるので、その場で倒れて動かなくなったりしますが、これを又蹴って殴って働かそうとするので、絶えられずそのまま死んでしまう人も多いそうです。 かろうじて息があっても、全身の感覚が無くなって働けないという状態だったある人は、本当に感覚がないのか試してやると薄笑いを浮かべた看守に、焼けた石を乗せられました。彼女は大やけどを負い、それでも何の感覚もなく、その部分が膿んで腐り、何千という数のうじがわいて、うじの餌食になり泣き叫びながら死に絶えたそうです。 身ごもって収容所に入れられた人は、食塩水を飲まされて堕胎させられるそうですが、コンクリートの床で産まされた子供は、母が蹴られどかされた後に首をひねって殺されます。その遺体はバケツに投げこめられ、医薬品を作られるために持ち運ばれます。 器量が良く、看守の目に留まった女性は夜な夜な呼ばれ、もてあそばれ受胎をすれば発覚を恐れて、地下での秘密の処刑が待っています。 よく話題にされている日本人妻の待遇もひどいそうです。数多くの日本人妻が収容所送りとなって、その土中に埋められている、もしくはまだ其処に収容されていると言う事です。 北朝鮮には火葬という風習がなく、死亡したら土葬だそうで、この様な収容所で死んだとしても隔離された広大な敷地のどこかに埋められるだけ・・・誰も何のとがも受けません。平等な法の裁きなど皆無に等しいのです。人間ってどういう状態に置かれれば、こんな残酷な事が出来るのだろうか?月並みな疑問が一番に浮かんできました。 いろいろ不満ばかり言っている私だけど、生まれる所を選べない摂理を思うと、自分のあまりの幸運にただただ感謝の念でいっぱいになります。それは「世界を百人の村にたとえたら・・・」のあの逸話に照らし合わせても明らかな事です。パソコンを持っているのは100人のうちのたったふたりで、飢えている人は100人のうち実に50人。 子供たちとしみじみそんな話をしました。私は常々、捨てられて保健所に連れて行かれる犬猫には生まれ変りたくないと(真剣に)思っていますが、人間として生まれても生き地獄を味わう人はいっぱいいるのです。 自分はとてもラッキーだった、ただそれだけのような気がします。 ネットで見ていたら、去年だったか、金正日の息子の金正男がディズニーランドに行こうとしたとか(それも、信じられない事だけど、というより絶対ウソ)でお付きの人達と秘密で来日した事がありました。あの時に拉致家族と引き換えにするという理由で身柄を拘束すれば良かったのにと書いていた方がいました。国外追放にしたあの事件です。その書き込みは今日の拉致家族問題の進展を見るかなり前に記されていましたが、すごいな〜と感心しました。 もし小泉内閣でそれをやったらどうなっていたでしょうか? この本を読んで、70人とも80人とも言われる、拉致被害者の安否がより心配になりました。 「元もとの価値観の違う人種」と今日、先日交渉に行った方がおっしゃっていました。が、それは全ての北朝鮮の国民性ではありません。 だれかクーデターか、暗殺して!と過激に思ってしまう私です。 |
| ラッキーボーイ!プードルのルンちゃん。 2002,12,03 |
| ある事で、愛護センターを訪ねた知人のSさんは、そこで不要犬として持ち込まれた、何匹かの犬たちを見てしましました。 かつては飼い主に甘え、散歩に連れて行ってもらい、まさかこんな所に入れられるとは、露とも思わなかった犬たちがそこにはいました。 痛む心で彼らを見ていたSさんですが、その中に1匹の老プードルがいるのに気が付きました。 Sさんはその小柄なプードルが気になり、家に帰ってからも頭から離れなくなってしまいました。 思いあぐんだ末、その犬を何とかして救い出そうという結論に達っした彼女は、今一度愛護センターを訪ねたのでした。 職員の方々の反対を押し切って、Sさんは彼を貰い受ける事に成功しました。 センター側の言い分は何も好き好んで年を取った犬を引き取らなくても、という事でした。 この子は充分楽しく幸せな犬生を過ごしたのだろう・・・と。そういう見解でした。 市ではまだ、飼い主以外がセンターから不要犬を引き取れるような制度を認めていません。原則としては、元の飼い主以外には犬を渡さないのです。 その理由は貰い手側の心変わりで犬を戻されたり、又反対に人間側が噛まれる等の何らかのトラブルが生じた場合、愛護センターは責任を負いかねるという事らしいのです。それよりも私が懸念する事は、センターに犬を不要犬として放棄しても貰い手を探してくれると思われるのも困るのかな〜という事です。確かにこんな犬が欲しいと登録制にしたり、東京都の様に、今こんな犬が収容されていますと知らせたら、何らかの理由で手に余った犬を容易くセンターに持ち込むようになるかも。 それならそれで、遺棄するために連れて来た人に対する嗜め、又自己責任においての里親探しの推奨など、それと欲しい人に対する調査と講習をマニュアル化すれば対処できるかもしれませんが、それまでにどの位の時間がかかるか??? 今度の事も絶対に漏らさない様にと念を押されたらしいのですが(書いてしまいました〜)。 そんなSさんのお宅で数々の無礼を働き(笑)ひんしゅくを買った老犬ルンちゃんですが、少なくとも10歳以上という年の割にはとても元気でお散歩などそれこそルンルン行ってしまいます。ひんしゅくというのは主にマーキングと、収容されていたトラウマなのか、Sさんが見えないと吠えまくるのです。正規のお仕事をしているSさんも15匹の猫たちも辟易してしまった時期もありました。 そんな折、私が代理投稿した情報誌ぱどで、素晴らしい貰い手さんが見つかりました。 それまでにも、一度目はお試しで2,3日で返されたり、二度目は里親さんに決まった方のお母さんが突然倒れ、お世話をしなくっちゃならなくなった、と断られたりしました。 そして、三度目の正直で名乗り出て下さったご夫婦から、これ以上の里親さんはいないと、うれしさに涙が溢れんばかりの微笑ましいお手紙を頂きました。 お試しから、とSさんがお預けして2週間、何でも老い先短いルンちゃんの為にいつも一緒、最高でも2時間くらいに外出は抑えているそうです。外出する時はご夫婦二人とルンちゃんとで出かけます。居酒屋では、ルンちゃんも鳥のささ身、茶碗蒸しなどを食べたとか、おすし屋では、アナゴと玉子焼きを食べたとか。子供さんのいないご家庭で、正にルンちゃんはご夫婦の子供として扱って頂いています。 今は、百歳まで生きるように百太郎、ももちゃんと呼ばれているルンちゃんは、考えてみると本当に本当にラッキーボーイそのものですね!生と死の境にいたルンちゃんが、どんな半生を過ごしてきたのか?それはわかりませんが、最後の最後に思いがけない幸せがやってきたのだけは確かな事なのです。 ![]() |

| 犬、猫10匹飼えば懲役刑? 2002,12.13 |
| これは外国の話ではなくて、今日の新聞に載った鳥取県の条例の話です。 現在の本当の話です、びっくりしました! そのまま引用します。 ★★犬や猫を10匹以上飼うのはご法度★★ 鳴き声や糞尿による悪臭で周辺住民とトラブルが絶えない多頭飼育の問題を解決するため、鳥取県議会は12日の本会議で、議員提出の「県民に迷惑をかける犬又は猫の飼育の規制に関する条例」を全会一致で可決した。 条例は、知事が生活環境を保全する必要があると認めた場所を規制地域に指定し、生後91日以上の犬か猫を計10匹以上飼育する事を禁止する内容。違反者には6月以下の懲役、または30万以下の罰金を科す。 早い話、生後3ヶ月以上経った犬猫を10匹以上飼育してはいけないという事でしょうか。 生活環境を保全する必要があると認めた場所、というのが今いち解りませんが、特定の誰か、トラブルを起こした人の居住地を限定して指定地域に認定するというのでしょうか? 詳しい内容はよく解りませんが、これだけを読むと前代未聞のひどい条例としか言いようがありません。 私の周りでは10匹飼育は多いうちに入りません(笑)何故にその他の条件の記載なくてこの様な文面になったのか??? 特定の人を限定して勧告、応じないのなら云々というのでしたら話はわかりますが、指定地域という限定の仕方は理解に苦しみます。広い敷地と取れますよね?! とすると大規模なブリーダーまたは繁殖業者や、個人で避妊去勢もせず広範囲で多頭飼いしている人とかを対象にしているのか? 鳥取県人の皆様、教えてください。 もし納得のいかない条例なら、鳥取県民は抗議するべきだと思います。こんな条例が無条件で議会を通過するなんて本当にびっくりです。動物愛護法、議員の方々ご存じないのでしょうか? 30万円以下の罰金というのは、動物遺棄や給餌給水義務の怠りに対しての罰則ですが、多頭飼いによって給餌給水を怠った場合などという一文はありませんし。じゃあ、違反を認めて10匹目からの犬猫たちの飼育を放棄した場合、彼らの処遇はどうなるのか・・・胸が痛くなるような条例です。 知っている方、教えてくださいね。 |

| ビートルズの関西弁訳詩のごっつう面白いHP。 2002,12,15 |
| 思春期の頃、ビートルズが大ブレークしました。今までと違ったエキサイティングでエネルギーに満ち、それでいてメッセージがあるそんなビートルズが大好きでした。 高度成長期の真っ只中、日本中が活気に満ちていた時代でした。高校生の時、万国博覧会が大阪でありました。 一億総出で行ったものです、なんの疑いもなく・・・ 又その頃ソルティシュガーの「走れコータロウ」が大流行しました。 ある日の授業中、理知的で美人で素敵だった美術の先生が皆に聞きました、 「万国博覧会に行ってきた人っ!」 私や皆は誇らしげに手を上げました。 先生は言いました。万国博覧会は何かおかしい、行く気もないしあんなに並んでどんな意味があるのか?日本中が浮かれてむしろ恥ずかしい。走れコータロウも自分には、周りを見ないでどこまでも突っ走る、日本というおかしな国を象徴した歌としか思えない、と。 私はびっくりしました。へ〜そんな見方もあるのかと。皆が皆、熱に浮かされた様にハイテンションだった、そんな時代でした。 でも今だったらその先生のおっしゃった事がよく解るような気がします。変な時代だったのですね。あんな時代はそうそうやってこないでしょうね。そう思えば経験できて良かったとも言えるかもしれません。 因みに美術が好きだった私は、ことさら先生のおっしゃる事に感心していましたが、物事の本質を見る、違った見方をするという事を教えてもらったような気がします。 その頃車で「ファミリア」という車が売り出されました。、販売前のメーカーの名前募集で、先生はゴッホの絵の中の、風の部分の愛称というか、何とかいう名前が付いているのですが(忘れました〜)、それを書いて応募したのに、決まったのはファミリアというつまらないきわめて一般的な名前でがっかりしたと言っていました。 油絵が得意だった私は、 「●●さんの絵にはいつも対象物を越えた、自分の心が描き込まれている」 とみんなの前で褒められて本当にうれしかった、そんな事がつい昨日の事のように思い出されます。 その頃は洋楽にもはまっていて、友達と二人で学園祭で「レットイットビー」やサイモンとガーファンクルの「スカボロフェア」等を熱唱したり、オリジナル曲を作って歌ったものです。恥ずかしいながらも楽しい思い出ですが、悲しい事に今ではその頃の芸術性?の片鱗も留めない、普通以下の主婦になっています。トホホ、時の流れは恐ろしいものです。(笑) 話は変わりますが、次男が今年から神奈川に転居しました。大学1年ですが夜になるとPCのMSNでチャットしてくるのです。これじゃあ彼女なんか出来るわけもなく、中3の娘にはマザコンとののしられているのですが・・・ それで楽しいHPを教えてもらいました。(私だけが楽しいのかも) 関西弁の訳詩がけっこう笑えます。だれか「王様」みたいにそのまま上手に曲に乗っけて歌って欲しいと思いますが、興ざめになってしまうかも? 因みにレットイットビーはこんな風になっています。 Let it be, なすがままに しなはれ When I find myself in times of trouble 「ほんまどないせぇっちゅうねん」ちぅときには Mother Mary comes to me 聖母マリアが来てくれんねん Speaking words of wisdom ええことゆうてまんねん Let it be 「なすがままにしなはれ」 And in my hour of darkness どん底の暗闇の中で She is standing right in front of me 私のちょうど前に立って Speaking words of wisdom 賢い言葉 ゆうてはんねん Let it be 「なすがままにしなはれ」 Let it be, let it be 「なすがままにしなはれ」 Let it be, let it be 「あるがままでええ」 Whisper words of wisdom 賢い言葉や つぶやきなはれ Let it be 「なすがままに しなはれ」 And when the broken hearted people 失意のどん底にあって Living in the world agree この世に生きる人々の心は同じや There will be an answer いつか答えは見つかるんちゃうの Let it be 「なすがままに したらええ」 For though they may be parted 離ればなれになったちぅても There is still a chance that they will see また会える日がくるかもしれへんやないか There will be an answer いつか答えは見つかるんちゃうの Let it be 「なすがままにしていなはれ」 Let it be, let it be 「なすがままに しなはれ」 Let it be, let it be 「あるがままで ええ」 yeah, there will be an answer いつか答えは見つかるんちゃうの Let it be 「なすがままに しなはれ」 Let it be, let it be 「なすがままに しなはれ」 Let it be, let it be 「あるがままで ええんや」 Whisper words of wisdom 賢い言葉や つぶやきなはれ Let it be 「なすがままに しなはれ」 Let it be, let it be 「あるがままで ええんやで」 Let it be, let it be 「なすがままに しなはれ」 Whisper words of wisdom 知恵ある言葉や つぶやきなはれ Let it be 「なすがままに しなはれ」 And when the night is cloudy 雲が覆う暗い夜もなぁ There is still a light that shines on me 私を照らす光はあるねん Shine until tomorrow 明日まで照らしといてぇや Let it be 「成らせたまえ」 I wake up to the sound of music 音楽に目ぇ覚ましたら Mother Mary comes to me 聖母マリアが現れて Speaking words of wisdom ええことゆうてまんねん Let it be 「なすがままに しなはれ」 面白いと思った方、行ってみて下さいね。 http://www.asahi-net.or.jp/~bg1t-ksmt/ です。 |

| 雨にも負けず・・・ 2002,12,30 |
ご存知、宮沢賢治の有名な詩です。 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち 慾はなく 決して瞋らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず 野原の松の林の蔭の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいゝと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い 一人のときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き みんなにデクノ坊と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういう者に 私はなりたい 生きている以上、誰にも欲望があります。 人間の欲望は又、他の動物のように単純ではなく、その形体も多種多様で複雑です。 悩みや揉め事もこれによって発生するし、喜びも欲望があるから感じられるもの・・・ 賢治は法華経を頑なにまで信じた仏教徒でした。これは仏教徒としての、自分自身の指針を書き記した詩だと思います。 現代にも通じ、ぐさっと心に刺さる詩でもあり、癒される詩でもあります。そう生きるのはとっても難しい、だけど単純で解り易くだれにでも目指せる生き方です。 人間の欲望の一つに「自己顕示欲」という物があります。かく言う私もこのHPを持っていること自体が自己顕示欲の表れなのかもしれませんが、今年はそれについていろいろ考えさせられました。職場、又保護活動の場で他人のそれを感じた時、自分の事は棚に上げて正直な所、少々嫌悪感を感じた事もありました。 仲間うちで、ある公共施設の野良猫たちの世話をしていますが、先日そこの役職者と話した際に、最初から関わっている仲間が分裂したのかと聞かれました。そんな事はなかったのですが、それについて複数の方が話され、苦笑しているといった感じでした。その時は何の事かな〜と思いましたが、ある事があって、同じボランティアグループの中で、又は違うグループ間での諍いが実に多い事を知りました。行政側の彼らにとってはよく耳にする事であり、それ故危惧したのだと思います。 自分でも最近そんな事例を複数知る機会があり、実態はかなり酷いものなのかもと思い始めました。元々営利ではない、言ってみれば自分のモラルやポリシーで活動している方々ですが、グループとなると何故か不協和音が生じる様です。だから多くの方が最終的には、個々に自分の責任の下に、自分の身の回りの活動のみをするのが一番良い、という結論に達するようです。 この詩の最後の所、「みんなにデクノ坊と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず」 という所、いちばん難しいです。自己顕示欲をかなぐり捨てる、ということでしょうか。それは仏教でよく言う「無我」と言うものではないでしょうか。そして皆がこの様な、「無我」の境地に達したら、この世の全ての諍いはなくなる筈です。 改めて周りの犬猫たちを見たとき、彼らの生き方がきわめて淡々としている事に気がつきました。自己犠牲については、DNAに組み込まれた、彼ら自身にも自覚がない場合、(ほとんど本能と呼ばれる部分)では存在すると思いますが、(そこは努力して勤めて自己犠牲が出来る一部の人間と違う部分かもしれませんが)最後の部分、自己顕示欲という部分では、人間は彼らに負けているのではないでしょうか。 さて、より神に、仏に?選ばれし者はどちらなのでしょうか? 私が年末に思うことは、彼らの淡々とした「生」に、見習う部分も多々あるのでは?という事なのです。 |
